懐かしくて新しい「昭和のおもちゃ」資料館。ノスタルジックな空間に元気ハツラツ! |御手洗昭和館
駄菓子屋玩具ミュージアム 御手洗昭和館
広島県呉市豊町御手洗236
江戸時代から明治、大正、昭和初期の面影を残す御手洗。かつて役場に銀行、お店がたち並び“御手洗銀座”と呼ばれた目抜き通りに、昭和のおもちゃを集めた玩具資料館「御手洗昭和館」があります。大村崑さんが「元気ハツラツ!」と呼び掛ける看板、窓越しからは駄菓子、のれんの奥には見覚えのあるおもちゃが…。覗かずにはいられないスポットです。
江戸時代から明治、大正、昭和初期の面影を残す御手洗。かつて役場に銀行、お店がたち並び“御手洗銀座”と呼ばれた目抜き通りに、昭和のおもちゃを集めた玩具資料館「御手洗昭和館」があります。大村崑さんが「元気ハツラツ!」と呼び掛ける看板、窓越しからは駄菓子、のれんの奥には見覚えのあるおもちゃが…。覗かずにはいられないスポットです。
駄菓子屋で見かけた懐かしのおもちゃ
「ここは主に昭和30、40年代のおもちゃを集めています。1階には駄菓子屋と文房具店で手に入るもの、2階にはおもちゃ屋で売られたメーカー品を展示しています」
そう説明してくれるのは館長の関藤一暁さん。展示してあるのは、昭和37年生まれの関藤さんが小学生までの時代のもの。遊んだ、見かけた、あこがれたおもちゃ約5000種類が並ぶ。
集め始めたのは今から約20年前。当初は、駄菓子屋さんの店頭で見かけるお菓子を入れるガラス瓶などを集めていた。それを探す中で古いおもちゃを見かけて少しずつ買うように。やがて“沼”にはまってしまい、気が付くとおもちゃがメインになっていたそうだ。いずれは資料館にしようと、広く浅く集めるようになった。昭和30、40年代にこだわり、50年代のものはごくわずかしかない。いつごろのおもちゃなのかは自身の記憶と調べた知識、あとは物自体が醸し出す空気感で判断するそうだ。
御手洗の銀座通りに資料館をつくりたい
建物は幕末ごろのものだという。関藤さんは御手洗出身で、この建物がもともと酒屋さんで、平成以降は長く空き家となっていたのを見ていた。昭和レトロなおもちゃを展示する場所として、かつて“銀座通り”だったこの場所のこの建物を選んだ。仕事を早期退職して準備期間を経て、2017年4月に開館した。
「郷愁やなつかしさはもちろん、こうしたおもちゃは、いつかは目にしなくなるものであり、そのはかなさも魅力です。そんなおもちゃを一同に集めたこの場所で、当時を追体験してもらいたい」と話す。
デザインや素材から、歴史やその時代の様子が見える
まずは1階を回ってみよう。一歩目から目が離せない。面子のコレクションはなんと江戸時代からのものがあり、面子の歴史をたどっていくことができる。
土でできたものは江戸時代の「泥面子」。これが元々の面子で、おたふく、ひょっとこ等の顔が確認できる。穴に投げ入れたという遊び方は、後のビー玉遊びのルーツだそうだ。明治時代になると活版印刷が始まって鉛が出回るようになり、「鉛面子」が登場。ぶつけてひっくり返すという遊び方がこのとき生まれた。明治40年ごろに厚紙をつくる技術が一般化し、紙の面子が登場。武将や軍人がモチーフとなっていたが、戦後はテレビや漫画のキャラクターが描かれるように。その後、キャラクターの情報が載った「カード」に人気が移り、面子がすたれていったそうだ。
飛ばせて遊ぶおもちゃのコーナーを見ると、戦前の組み立て飛行機の羽根には文字が右から左に書かれていて、「アイコク(愛国)」と読める。色がついていない地味なデザインは戦時中のものだ。「覚えているものはすべて集めました」というビー玉のコレクションも見どころ。戦時中のビー玉は、軍需の関係でガラス製ではなく素焼きで代用したそうだ。おもちゃのデザインや素材には、その時代の様子が色濃く反映されている。
「昭和30年代のおもちゃには、“高級プラスチック”と表示されているものがあります。プラスチックが高級品だったという価値観の変化も分かりますね。当時は子どもで分からなかったことでも、大人になって改めて振り返ると気づかされることも多いです」
駄菓子屋さんを再現したコーナーで注目したいのは、「ニッキ紙」。紙にニッキをしみこませたもので、ガムのように噛んで味わっていたそうだ。そのほかのお菓子もパッケージも中身もほとんど当時のまま。「今日のお小遣いで何を買おうか」と、一生懸命に計算する子どもたちの姿を想像する。
文房具だからこそ残されたキャラクター
1階奥の文房具コーナーも必見。ノート類、筆箱、下敷き、鉛筆削りなど、膨大なコレクションが部屋いっぱいに天井付近まで並ぶ。筆箱一つ見ても、ブリキ製のものから、セルロイド製、プラスチック製、布製、ビニール張りの箱型、鍵が付いたロック式、あちこち引き出しがある多面式筆箱まで、時代の移り変わりがよくわかる。当時大人気だった「スパイ手帳」も自慢のコレクションだ。また、日本初のグッズ展開とも言える「ラブ&ピース」(ニコちゃんマーク)の商品も懐かしい。
文房具のキャラクター商品は、表面に印刷するだけなので、おもちゃには採用しにくいほのぼの系やスポ根の主人公なども取り入れやすい。「文房具だからこそ残されたレアなキャラクターが見られます」と文房具の楽しみ方を教えてくれた。
ショーケース越しに見た憧れのおもちゃ
2階はおもちゃ屋さんのショーケースで見ていたものが並ぶ。
ピストルのコレクションは、輪ゴム鉄砲、マッチ銃、水鉄砲、杉の玉を打つ杉鉄砲、平玉や巻玉などの火薬鉄砲がそろう。銀玉鉄砲は大阪のメーカー「セキデン」が日本で初めて作ったもので、もちろん世界初。弾が安価だったこともありとても流行した。
また、置き物のコーナーでは、セルロイドやモール、フェルト製の人形、ガラスや陶器、木製、ブリキ製のおもちゃなど、素材に応じてきれいに並んでいる。
「戦前から日本とドイツはおもちゃの輸出量が多い国。日本の戦後復興で最初に外貨を獲得したのもおもちゃの輸出です。アメリカのバービー人形を下請けで作っていたのも日本で、それがリカちゃんにつながります」と日本のおもちゃの充実している理由を説明してくれた。日本がアメリカの進駐軍の空き缶を加工してブリキの車として売っていたのは有名な話だ。
今、私たちが知っている有名おもちゃメーカーの歴史も興味深い。
昭和40年代に人気を集めた、マジックハンド、バッティングマシーン、光が当たるとライオンの的が吠える光線銃…。これらは、テレビゲーム登場以前の「任天堂」の大ヒット商品だ。
ボードゲームに記憶をくすぐられる人も多いのではないだろうか。「エポック社」の野球盤では、すべて木製のもの、バットを直接手で動かしていた初期のもの、初めて “消える魔球”を再現したものなど各種ある。どうやってボールが消えるのかは、実物を見て確かめてほしい。
大切な思い出をもう一度、新たに昭和レトロ体験を
見るだけでなく、遊んだり買ったりできるおもちゃもある。
中庭では、コマや面子、竹とんぼを自由に体験できる。「実はあまり遊んだことがなくて。下手なんですよ~」と関藤さんもチャレンジ。思い切りの良さと、粘り強さが求められる。三世代で出かけて対決してみても盛り上がりそうだ。
お土産には駄菓子を買って帰ろう。予算を決めて、どれを何個買って満足いく内容にするか真剣勝負。ガムやラムネ、ねり飴、ソフトクリーム型のトンガリ菓子などが並ぶ中で、1点集中で「ボンタン飴」を選んだ。なんだか贅沢な気分を味わった。
「懐かしい!」と思わず声が出て、思い出がよみがえるアイテムがたくさん。平成令和世代には「昭和レトロでかわいい!」と新鮮に映るはずだ。「若いのに昭和を研究されていて、私よりも詳しい人がいたりしてね」と笑う関藤さん。「写真OKにしています。来た人に発信してもらえたら。御手洗の魅力づくりに貢献できたらうれしいです」
江戸時代から明治、大正、昭和初期の時間が流れる御手洗で、さらに限定された昭和30、40年代にタイムスリップできる「御手洗昭和館」。懐かしくも新しい空間が、好奇心旺盛だったころの自分を思い出させてくれる。
入館料 一般300円 小中学生200円(未就学児無料)
名称 | 駄菓子屋玩具ミュージアム 御手洗昭和館 |
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お問合せ | 0823-66-5005 |
営業時間 | 10:00~17:00 |
定休日 | 不定休。事前に問い合わせを。※つながらない場合はお休み |
駐車場 | 無 |
ウェブサイト | |
所在地 | 広島県呉市豊町御手洗236 |
※マップアプリはマークで起動
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